数ふれどおぼつかなきを我が宿の
梅こそ春の数を知るらめ
- 歌の意味
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数えてみても、はっきりとは分からないが、我が家の梅こそが、これまで迎えた春の数を知っているのだろう。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1012
詞書「清和の七の親王の六十賀の屏風に」
数えてみてもはっきりしないが、毎年咲いてきた我が家の梅こそが、主が迎えてきた春の数を知っているだろうと詠む歌である。詞書から、清和天皇の第七皇子の六十歳の賀を祝う屏風に添えた歌とわかる。重ねてきた春を数えきれないほどの長寿として、毎年変わらず咲いてきた梅にその数を託し、親王の長寿を祝っている。
作者の紀貫之は、古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
初句「数ふれど」は、数えてみても、の意で、「ど」は逆接の接続助詞である。
二句「おぼつかなきを」は、はっきりしないが、の意で、「を」は逆接の接続助詞である。
三句「我が宿の」は、我が家の、の意で、本巻の第千八首の三句「我が宿の」と同じ句を共有し、我が家の梅を詠む点も通じている。
四句「梅こそ春の」は、梅こそが春の、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「らめ」で結ぶ係り結びである。
結句「数を知るらめ」は、数を知っているのだろう、の意で、「らめ」は推量の助動詞「らむ」の已然形である。初句の「数ふれど」と「数」の語を重ね、数えきれない年を梅が知っていると結んでいる。
ろくじふのが:六十の賀。六十歳を祝う長寿の祝い
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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かざしては白髪にまがふ梅の花 今はいづれを抜かむとすらん
- 次の歌
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年ごとに咲きは変はれど梅の花 あはれなる香は失せずぞありける