松ならば引く人今日は有りなまし
袖の緑ぞかひなかりける
- 歌の意味
-
もし私が松であったならば、今日は引いてくれる人もあっただろうに。同じ緑でも、六位の袍の袖の緑は甲斐のないことだ。
- 鑑賞
-
巻第十六 雑春歌 1027
詞書「正月叙位のころ、ある所に人々まかりあひて子の日の歌詠まんと言ひ侍りけるに、六位に侍りける時」
自分が松であったなら今日は引いてくれる人もあっただろうに、同じ緑でも六位の袖の緑は甲斐がないと嘆く歌である。詞書から、正月の叙位の頃、人々が集まって子の日の歌を詠もうとした折、作者がまだ六位であった時の歌とわかる。子の日に引かれる松の緑と、六位の着る緑の袍の袖とを重ね、引き立ててくれる人のない不遇を、子の日の小松引きに託して嘆いている。
作者の「よしのふ」は大中臣能宣である。伊勢神宮の祭主を務め、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進にあたった。三十六歌仙に数えられる。
初句「松ならば」は、もし松であったならば、の意で、「ば」は未然形について仮定を表す。
二句「引く人今日は」は、引いてくれる人が今日は、の意で、「引く」は子の日の小松引きと、人を引き立てる意を重ねている。次歌の第千二十八首、第千二十九首の初句「引く人も」と、「引く人」の語を共有している。
三句「有りなまし」は、あっただろうに、の意で、「な」は強意、「まし」は反実仮想の助動詞である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「袖の緑ぞ」は、袖の緑は、の意で、六位の官人が着る緑の袍をいう。係助詞「ぞ」は結句の「ける」で結ぶ係り結びである。
結句「かひなかりける」は、甲斐のないことだ、の意で、「ける」は詠嘆を表す。初句の「松」の緑と、四句の袖の緑とを対比している。
ろくゐ:六位。六位の官人は緑の袍を着た
じよゐ:叙位。位を授けること
- 作者
-
大中臣能宣
- 出典
-
拾遺和歌集
- 前の歌
-
老いの世にかかるみゆきは有りきやと 木高き峰の松に問はばや
- 次の歌
-
引く人もなくてやみぬるみ吉野の 松は子の日をよそにこそ聞け