引く人もなしと思ひし梓弓
今ぞうれしきもろやしつれば
- 歌の意味
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引いてくれる人もないと思っていた梓弓だが、今こそうれしい。諸矢を放って二本とも当てたように、二度の喜びを得たのだから。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1029
詞書「康和二年、春宮の蔵人になりて、月のうちに民部丞に移りて、二度よろこびを述べて、右近命婦がもとに遣はしける」
引く人もないと思っていた梓弓の我が身だが、今こそうれしい、諸矢がともに当たったように、二度の喜びを得たのだからと詠む歌である。詞書から、春宮の蔵人となり、同じ月のうちに民部丞に移って、二度の任官の喜びを右近命婦のもとへ書き送った歌とわかる。梓弓を引く人に、自分を引き立ててくれる人を重ね、二本一組の諸矢がともに的に当たることに、相次ぐ二度の任官を喩えている。
前の二首の第千二十七首、第千二十八首が引く人のない不遇を嘆いたのに対し、この歌は同じ「引く人」の語を用いて、引き立てられた喜びを詠み、対をなしている。
作者の「したかふ」は源順である。嵯峨源氏の出で、梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進と万葉集の訓読にあたり、辞書の和名類聚抄を編んだ。三十六歌仙に数えられる。詞書の「康和」は順の在世と合わず、年号の誤記とみられる。
初句「引く人も」は、引いてくれる人も、の意で、前歌の第千二十八首の初句と同じ句である。
二句「なしと思ひし」は、ないと思っていた、の意で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形である。
三句「梓弓」は、梓の木で作った弓で、初句の「引く」と縁語をなし、引き立てられることを待つ我が身を喩えている。
四句「今ぞうれしき」は、今こそうれしい、の意で、係助詞「ぞ」を受けて形容詞「うれし」の連体形で結ぶ係り結びである。ここで句切れとなる四句切れの歌である。
結句「もろやしつれば」は、諸矢を射当てたので、の意で、「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形、「ば」は原因を表す。うれしさの理由を倒置して示している。
もろや:諸矢。二本一組の矢
みんぶのじよう:民部丞。民部省の三等官
くらうど:蔵人。天皇や東宮の側近に仕えて雑事を務めた役
- 作者
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源順
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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引く人もなくてやみぬるみ吉野の 松は子の日をよそにこそ聞け
- 次の歌
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咲きし時猶こそ見しか桃の花 散れば惜しくぞ思ひなりぬる