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桜花底なる影ぞ惜しまるる
しづめる人の春と思へば

歌の意味
桜の花の、池の底に映る影がとりわけ惜しく思われる。水に沈んでいるそれは、不遇に沈む私のような人の春だと思うので。
鑑賞
巻第十六 雑春歌 1048

詞書「清慎公の家にて、池のほとりの桜の花を詠み侍りける」
 池の底に映る桜の影がとりわけ惜しく思われる、それは不遇に沈む者の春だと思うからだと詠む歌である。詞書から、清慎公藤原実頼の家で、池のほとりの桜を詠んだ歌とわかる。水に沈む花の影と、官位の低いまま沈んでいる我が身とを重ね、華やかな花の宴の中で、自らの不遇をそれとなく訴えている。
 作者の「もとすけ」は清原元輔である。清原深養父の孫で、清少納言の父にあたる。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進にあたった。三十六歌仙に数えられる。清慎公は藤原実頼の諡で、実頼は藤原忠平の長男で、関白太政大臣に至った。

 初句「桜花」は、桜の花の、の意である。
 二句「底なる影ぞ」は、池の底に映る影が、の意で、係助詞「ぞ」は三句の連体形「るる」で結ぶ係り結びである。
 三句「惜しまるる」は、惜しく思われる、の意で、「るる」は自発の助動詞「る」の連体形である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
 四句「しづめる人の」は、沈んでいる人の、の意で、「しづむ」は水に「沈む」と、不遇に「沈む」を掛ける掛詞である。
 結句「春と思へば」は、春だと思うので、の意で、三句の「惜しまるる」理由を倒置して示している。

しづむ:水に「沈む」意と、不遇に「沈む」意を掛ける
せいしんこう:清慎公。藤原実頼の諡
作者
清原元輔
出典
拾遺和歌集
前の歌
世の中にうれしき物は思ふどち 花見て過ぐす心なりけり
次の歌
東路の野路の雪間を分けて来て あはれ都の花を見るかな