- 歌の意味
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行き過ぎてはまた巡ってくる春も知らないで、花も咲かない深山に隠れている鶯の声なのです。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1065
詞書「返し」
行き過ぎてはまた巡ってくる春も知らず、花も咲かない深山に隠れている鶯の声なのですと返した歌である。前歌の第千六十四首で、鳴かない鶯にたとえて籠もっていることをとがめられたのに対し、同じ鶯の見立てを受けて、自分は春の移り変わりも知らない深山に隠れた鶯であると答えている。不遇をかこち世から身を引く思いを、控えめに伝えている。
作者の「公任朝臣」は藤原公任である。関白藤原頼忠の子で、権大納言に至り、四条大納言と呼ばれた。和漢朗詠集を編み、歌論書の新撰髄脳を著した。
初句「行きかへる」は、行き過ぎてはまた巡ってくる、の意である。
二句「春をも知らず」は、春も知らないで、の意で、前歌の第千六十四首の結句「春も過ぎぬる」を受けている。
三句「花咲かぬ」は、花も咲かない、の意で、四句の「み山」にかかり、華やかさのない身の上を重ねている。
四句「み山隠れの」は、深山に隠れている、の意で、本巻の第千七十三首の二句「み山隠れの」と同じ句を共有している。
結句「鶯の声」は、鶯の声である、の意で、前歌の三句「鶯の」を受け、体言止めで結んでいる。
みやまがくれ:深山隠れ。奥深い山に隠れていること
- 作者
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藤原公任
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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谷の戸を閉ぢやはてつる鶯の 待つに音せで春も過ぎぬる
- 次の歌
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春は惜し郭公はた聞かまほし 思ひわづらふしづ心かな