春は惜し郭公はた聞かまほし
思ひわづらふしづ心かな
- 歌の意味
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過ぎゆく春は惜しい。一方でほととぎすの声も聞きたい。あれこれと思い悩んで、静かであるはずの心が乱れることよ。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1066
詞書「四月朔日詠み侍りける」
過ぎゆく春は惜しいが、一方でほととぎすの声も聞きたいと、あれこれ思い悩む心を詠む歌である。詞書から、四月一日、夏の始まりの日に詠んだ歌とわかる。去る春を惜しむ心と、夏の訪れを告げるほととぎすを待つ心との間で揺れる思いを、率直に表している。本巻はここから夏の景物へと移っていく。
作者の「もとすけ」は清原元輔である。清原深養父の孫で、清少納言の父にあたる。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進にあたった。三十六歌仙に数えられる。
初句「春は惜し」は、春は惜しい、の意で、ここで句切れとなる初句切れの歌である。前の二首の第千六十四首、第千六十五首の、過ぎゆく春を受けている。
二句「郭公はた」は、ほととぎすの声もまた、の意で、「はた」は、一方でまた、の意を表す。
三句「聞かまほし」は、聞きたい、の意で、「まほし」は願望の助動詞である。ここで再び句切れとなる。
四句「思ひわづらふ」は、あれこれと思い悩む、の意である。
結句「しづ心かな」は、落ち着いた心であることよ、の意で、本来静かであるべき心が思い悩むことを、詠嘆をこめて言っている。
しづごころ:静心。落ち着いた心
おもひわづらふ:思ひ煩ふ。あれこれ思い悩む
- 作者
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清原元輔
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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行きかへる春をも知らず花咲かぬ み山隠れの鶯の声
- 次の歌
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松風の吹かむ限りはうちはへて 絶ゆべくもあらず咲ける藤波