いたづらに老いぬべらなり大荒木の
森の下なる草葉ならねど
- 歌の意味
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むなしく老いてしまいそうだ。誰にも顧みられない大荒木の森の下草ではないけれども。
- 鑑賞
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巻第十六 雑春歌 1081
詞書「題しらず」
大荒木の森の下草ではないけれども、むなしく老いてしまいそうだと嘆く歌である。古今和歌集の「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」を踏まえ、老いて馬も食まず刈る人もない下草のように、誰にも顧みられずに年老いていく我が身を嘆いている。
本巻の巻末の歌である。巻頭の第千首が春立つ喜びとともに「老いぞ添ひける」と老いを詠み始めたのに対し、巻末のこの歌は「いたづらに老いぬべらなり」と老いの嘆きで結び、同じ作者の老いの歌で巻の始めと終わりが呼応している。
作者の凡河内躬恒は、古今和歌集の撰者の一人で、三十六歌仙に数えられる。
初句「いたづらに」は、むなしく、の意で、本巻の第千一首の三句「いたづらに」と同じ語を共有している。
二句「老いぬべらなり」は、老いてしまいそうだ、の意で、「ぬ」は完了の助動詞、「べらなり」は推量の助動詞である。ここで句切れとなる二句切れの歌で、巻頭の第千首の結句「老いぞ添ひける」と、老いの嘆きで呼応している。
三句「大荒木の」は、大荒木の、の意で、六音の字余りの句である。
四句「森の下なる」は、森の下に生えている、の意である。
結句「草葉ならねど」は、草葉ではないけれども、の意で、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接の接続助詞である。本巻の第千七十八首の四句「草の葉ごとに」と、草葉を詠む点で通じている。
おほあらき:大荒木。大和国の地名とされ、その森の下草は老いの象徴として詠まれた
- 作者
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凡河内躬恒
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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しばしだに陰に隠れぬ時は猶 うなだれぬべきなでしこの花
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七夕は空に知るらんささがにの いとかくばかり祭る心を