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秋霧のたなびく小野の萩の花
今や散るらんいまだ飽かなくに

歌の意味
秋霧がたなびく野の萩の花は、今ごろ散っているだろうか。まだ見飽きてもいないのに。
鑑賞
巻第十七 雑秋歌 1115

詞書「題しらず」
 秋霧のたなびく野の萩の花は、まだ見飽きてもいないのに、今ごろ散っているのだろうかと詠む歌である。霧に隠れて見えない野の萩を思いやり、散ってしまうのを惜しむ心を表している。
 万葉集巻十に、初句を「朝霧の」とする類歌がある。
 作者の「人まろ」は柿本人麻呂である。万葉集を代表する歌人で、後世、歌聖と仰がれた。三十六歌仙に数えられる。拾遺和歌集には、万葉集の歌や人麻呂歌集の歌が人麻呂の作として多く収められている。

 初句「秋霧の」は、秋霧が、の意である。
 二句「たなびく小野の」は、横に長く漂う野の、の意で、「小」は語調を整える接頭語である。
 三句「萩の花」は、秋を代表する花である。次の第千百十六首から第千百十九首まで萩を詠む歌が続き、萩の花から萩の下葉へと移っている。
 四句「今や散るらん」は、今ごろ散っているだろうか、の意で、「や」は疑問の係助詞、「らん」は現在推量の助動詞の連体形で、係り結びとなる。ここで句切れとなる四句切れの歌である。
 結句「いまだ飽かなくに」は、まだ見飽きてもいないのに、の意で、「なくに」は打消の語法に「に」がついて逆接と詠嘆を表す。

をの:小野。野、野原
作者
柿本人麻呂
出典
拾遺和歌集
前の歌
秋風し日ごとに吹けば我が宿の 岡の木の葉は色づきにけり
次の歌
秋萩の下葉につけて目に近く よそなる人の心をぞ見る