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小倉山峰の紅葉葉心あらば
今ひとたびのみゆき待たなん

歌の意味
小倉山の峰の紅葉よ、もしお前に心があるならば、もう一度の帝の行幸があるまで、散らずに待っていてほしい。
鑑賞
巻第十七 雑秋歌 1128

詞書「亭子院大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、ことの由奏せんと申して」
 小倉山の峰の紅葉に、心があるならば、もう一度の帝の行幸まで散らずに待っていてほしいと呼びかける歌である。詞書から、宇多法皇が大井川に御幸した折、法皇が帝の行幸もあってよい所だと仰せになったので、そのことを醍醐天皇に奏上しようと申して詠んだ歌とわかる。紅葉を擬人化し、法皇の御幸に続いて帝の行幸を迎えるまで、その美しさを保ってほしいと願っている。
 小倉百人一首にも、貞信公の歌として、二句を「峰のもみぢ葉」の形で採られている。
 作者の「小一条太政大臣」は藤原忠平である。関白藤原基経の子で、摂政、関白、太政大臣を務めた。諡は貞信公で、小一条の邸に住んだことから小一条太政大臣と呼ばれた。

 初句「小倉山」は、山城国の大井川のほとりにある紅葉の名所である。本巻の第千百二首の初句「小倉山」と同じ語を共有している。
 二句「峰の紅葉葉」は、峰の紅葉した葉よ、の意で、紅葉への呼びかけである。
 三句「心あらば」は、もし心があるならば、の意で、紅葉を擬人化している。
 四句「今ひとたびの」は、もう一度の、の意で、法皇の御幸に続く、もう一度の天皇の行幸をいう。
 結句「みゆき待たなん」は、行幸を待っていてほしい、の意で、「みゆき」は天皇や上皇のお出かけをいい、ここでは天皇の行幸を指す。「なん」は他に対する願望を表す終助詞である。

ていじのゐん:亭子院。宇多法皇のこと
みゆき:行幸、御幸。天皇や上皇のお出かけ
作者
藤原忠平
出典
拾遺和歌集
前の歌
久方の月をさやけみ紅葉葉の 濃さも薄さも分きつべらなり
次の歌
古里に帰ると見てや竜田姫 紅葉の錦空に着すらん