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月影の田上川に清ければ
網代に氷魚のよるも見えけり

歌の意味
月の光が田上川に清らかに澄んでいるので、夜であるのに、網代に氷魚が寄ってくるのまでが見えることだ。
鑑賞
巻第十七 雑秋歌 1133

詞書「内裏御屏風に」
 月の光が田上川に清らかに澄みわたっているので、夜であるのに、網代に氷魚が寄ってくるのまで見えると詠む歌である。詞書から、内裏の屏風に添えた歌とわかる。「よる」に氷魚が「寄る」と「夜」を掛け、月の明るさを、夜の川で小さな氷魚が見えるほどだと表している。
 なお本文の四句は「綱代に」とあるが、読み仮名の行の「あしろに」に照らして、「綱」は「網」の誤記とみられる。ここでは「網代」として扱う。
 作者の清原元輔である。清原深養父の孫で、清少納言の父にあたる。梨壺の五人の一人として後撰和歌集の撰進にあたった。三十六歌仙に数えられる。

 初句「月影の」は、月の光が、の意である。
 二句「田上川に」は、近江国を流れて宇治川に注ぐ田上川に、の意である。
 三句「清ければ」は、清らかに澄んでいるので、の意で、「ば」は已然形について原因を表す。
 四句「網代に氷魚の」は、網代に氷魚が、の意で、次歌の第千百三十四首の二句「網代の氷魚に」と同じ語を共有している。
 結句「よるも見えけり」は、「よる」が氷魚が「寄る」と、「夜」を掛ける掛詞で、夜なのに寄るのまでも見えることだ、の意となる。「けり」は気づきの詠嘆を表す。次歌の第千百三十四首の四句「何によりてか」と、「よる」の語で通じている。

たなかみがは:田上川。近江国を流れ、宇治川に注ぐ川
あじろ:網代。竹や木を編んで川に仕掛け、魚を捕る設備
ひを:氷魚。鮎の稚魚
よる:氷魚が「寄る」意と、「夜」を掛ける
作者
清原元輔
出典
拾遺和歌集
前の歌
水の面の深く浅くも見ゆるかな 紅葉の色や淵瀬なるらん
次の歌
いかで猶網代の氷魚に言問はむ 何によりてか我を訪はぬと