恋するに仏になると言はませば
我ぞ浄土の主ならまし
- 歌の意味
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もし恋をすることで仏になれると言うのであったならば、私こそが浄土の主となっていただろうに。
- 鑑賞
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巻第十八 雑賀 1188
詞書「題しらず」
恋をすることで仏になれるのだったら、私こそが浄土の主となっていただろうと詠む歌である。誰よりも深く恋をしてきた我が身を、仏道の修行になぞらえて誇張し、苦しい恋の深さをおどけた調子で語っている。仏道を引き合いに出した、大胆な恋の歌である。
初句「恋するに」は、恋をすることによって、の意である。
二句「仏になると」は、仏になると、の意で、成仏することをいう。
三句「言はませば」は、もし言うのであったならば、の意で、「ませ」は反実仮想の助動詞「まし」の未然形であり、結句の「まし」と呼応している。
四句「我ぞ浄土の」は、私こそが浄土の、の意で、係助詞「ぞ」は結句の連体形「まし」で結ぶ係り結びである。
結句「主ならまし」は、主となっていただろうに、の意で、「ませば〜まし」の反実仮想の形である。
じやうど:浄土。仏の住む清らかな世界。極楽
あるじ:主。主人
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
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夏は扇冬は火桶に身をなして つれなき人に寄りもつかばや
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唐衣たつより落つる水ならで 我が袖濡らす物や何なる