行く水の泡ならばこそ消えかへり
人の淵瀬を流れても見め
- 歌の意味
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流れゆく水の泡であるならば、消えては浮かびながら、あの人の心の淵や瀬を流れてでも見ようものを。
- 鑑賞
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巻第十九 雑恋 1232
詞書「題しらず」
流れゆく水の泡であるならば、消えては浮かびつつ、あの人の心の淵や瀬を流れてでも見ように、と詠む歌である。深く沈んだり浅く速くなったりする川の淵と瀬に、相手の心の深さや移り変わりをたとえ、泡のように流れてでもその心を確かめたいが、そうはできない身のもどかしさを詠んでいる。次歌の第千二百三十三首と、水の深浅に人の心を重ねる趣向を共有している。
初句「行く水の」は、流れてゆく水の、の意である。
二句「泡ならばこそ」は、泡であるならば、の意で、係助詞「こそ」は結句の已然形「め」で結ぶ係り結びである。
三句「消えかへり」は、消えては浮かびを繰り返して、の意で、はかない泡のさまをいう。
四句「人の淵瀬を」は、あの人の心の淵や瀬を、の意で、相手の心の深さや変わりやすさをたとえている。次歌の第千二百三十三首の四句「深さ浅さを」と、水の深浅で心を測る点で呼応している。
結句「流れても見め」は、流れてでも見ようものを、の意で、「め」は推量の助動詞「む」の已然形であり、二句の「こそ」を受けて結んでいる。実際にはかなわないことを含意している。
ふちせ:淵瀬。川の深い所と浅い所。人の心や世の移り変わりのたとえ
きえかへる:消え返る。消えては繰り返す、すっかり消える
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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過ちのあるかなきかを知らぬ身は 厭ふに似たる心地こそすれ
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ともかくも言ひ放たれよ池水の 深さ浅さを誰か知るべき