雨降りて庭にたまれる濁り水
誰がすまばかはかげの見ゆべき
- 歌の意味
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雨が降って庭にたまっている濁り水は、誰が住んで澄ませたら、影が映って見えるだろうか。あの人が住まなくなったこの家で、鹿毛の馬が見えるはずもない。
- 鑑賞
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巻第十九 雑恋 1253
詞書「男のまかり絶えたりける女のもとに、雨降る日見馴れて侍りける従者の、鹿毛の馬求めにとてなんまうで来つると言ひ侍りければ」
雨が降って庭にたまった濁り水は、誰が住んで澄ませたら影が映って見えるだろうかと詠む歌である。詞書から、男が通わなくなった女のもとへ、雨の降る日に、見慣れた男の従者が、鹿毛の馬を探しに来たと言ってやって来たので、女が詠んだ歌とわかる。「澄む」に「住む」を、「影」に「鹿毛」を掛け、主人が住まなくなったこの家に鹿毛の馬など見えるはずがないと、訪れの絶えた男への恨みをこめている。
初句「雨降りて」は、雨が降って、の意で、詞書の雨の日をいう。
二句「庭にたまれる」は、庭にたまっている、の意で、「る」は存続の助動詞「り」の連体形である。
三句「濁り水」は、濁った水、の意で、影の映らない水をいい、訪れのない荒れた住まいを思わせる。
四句「誰がすまばかは」は、「すま」が水が「澄ま」と、人が「住ま」を掛ける掛詞である。「かは」は反語を表し、結句の「べき」と呼応している。次歌の第千二百五十四首の四句「すまぬにかげは」と、同じ掛詞を共有している。
結句「かげの見ゆべき」は、「かげ」が水に映る「影」と、馬の毛色の「鹿毛」を掛ける掛詞である。「べき」は可能の助動詞「べし」の連体形である。
すむ:水が「澄む」意と、人が「住む」意を掛ける
かげ:水に映る「影」と、馬の毛色の「鹿毛」を掛ける
ずさ:従者。供の者
- 作者
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よみ人しらず
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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久方の雨の降る日をただ独り 山辺にをれば埋もれたりけり
- 次の歌
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世とともに雨降る宿の庭たづみ すまぬにかげは見ゆるものかは