いづれをかしるしと思はむ三輪の山
ありとしあるは杉にぞありける
- 歌の意味
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どれを目印と思えばよいのだろう。三輪の山は、ありとあらゆる木が杉であったのだ。
- 鑑賞
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巻第十九 雑恋 1266
詞書「延喜御時中宮屏風に」
どれを目印と思えばよいのか、三輪の山はありとあらゆる木が杉であったと詠む歌である。詞書から、醍醐天皇の延喜の御代に、中宮の屏風に添えた歌とわかる。恋しい人を訪ねるなら杉の立つ門を目印に来よという古今和歌集の三輪の歌を踏まえ、山じゅうが杉ではどれが目印かわからないと、恋人のもとを探しあぐねる心を機知をこめて詠んでいる。本巻の第千二百三十六首と、杉が目印にならないという同じ趣向をもつ。
作者の「つらゆき」は紀貫之である。古今和歌集の撰者の中心人物で、仮名序を執筆し、土佐日記を著した。三十六歌仙に数えられる。
古今和歌集の雑歌下の「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」を本歌としている。
初句「いづれをか」は、どれを、の意で、係助詞「か」は二句の連体形「思はむ」で結ぶ係り結びである。
二句「しるしと思はむ」は、目印と思えばよいのだろうか、の意で、ここで句切れとなる二句切れの歌である。本巻の第千二百三十六首の結句「しるしだになし」と、「しるし」の語を共有している。
三句「三輪の山」は、大和国の三輪山で、杉を神木とする三輪明神の神体山である。
四句「ありとしあるは」は、ありとあらゆるものは、の意で、「し」は強めの副助詞である。
結句「杉にぞありける」は、杉であったのだ、の意で、係助詞「ぞ」を受けて過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で結ぶ係り結びである。本巻の第千二百三十六首の四句「青葉の杉の」と、杉の語を共有している。
しるし:目印
みわのやま:三輪の山。大和国の山。三輪明神の神体山で、杉が神木とされる
- 作者
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紀貫之
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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君見ればむすぶの神ぞ恨めしき つれなき人を何作りけん
- 次の歌
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我といへば稲荷の神もつらきかな 人のためとは祈らざりしを