憂きながら消えせぬものは身なりけり
うらやましきは水の泡かな
- 歌の意味
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つらいことばかりなのに、消えずに残っているのはこの身であった。うらやましいのは、すぐに消えてゆく水の泡であることよ。
- 鑑賞
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巻第二十 哀傷 1313
詞書「孫に後れ侍りて」
つらいのに消えずに残っているのは我が身であった、うらやましいのは水の泡だと詠む歌である。詞書から、孫に先立たれて詠んだ歌とわかる。前歌の第千三百十二首で娘を失い、さらに孫までも失った老いの身に、はかなく消える水の泡がうらやましいと言い、若い者を見送って自分だけが生き残る悲しみを詠んでいる。
作者の中務は、宇多天皇の皇子敦慶親王と伊勢との間に生まれた娘である。三十六歌仙に数えられる。
初句「憂きながら」は、つらいことばかりなのに、の意で、「ながら」は逆接を表す。
二句「消えせぬものは」は、消えずに残っているものは、の意で、「せぬ」は打消の意を強めている。
三句「身なりけり」は、我が身であった、の意で、「けり」は気づきの詠嘆を表す。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「うらやましきは」は、うらやましいのは、の意である。
結句「水の泡かな」は、水の泡であることよ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。すぐに消える泡と、消えずに残る我が身とを対比している。
きえす:消えす。消える
うまご:孫
- 作者
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中務
- 出典
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拾遺和歌集
- 前の歌
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忘られてしばしまどろむほどもがな いつかは君を夢ならで見ん
- 次の歌
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世の中をかく言ひ言ひの果て果ては いかにやいかにならむとすらん