帰るさを急がぬほどの道ならば
のどかに峰の花は見てまし
- 歌の意味
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お帰りを急がれずにすむほどの道のりであるならば、ゆったりと峰の花を見ていられようものを。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 47
詞書は前の歌に続き「近衛殿に渡らせ給ひて帰らせ給ひける日、遠尋山花といへる心をよませ給うける」
前歌と同じく、崇徳院が近衛殿からお帰りになる日に、「遠く山の花を尋ぬ」という題で詠んだ歌である。お帰りの道を急がなくてもよいほどの道のりであれば、ゆったりと峰の桜を眺めていられようものを、と詠む。院のお帰りを惜しむ気持ちと、心ゆくまで花を見られない名残惜しさとを重ねている。
作者の「法性寺入道前太政大臣」は藤原忠通である。関白藤原忠実の子で、摂政、関白、太政大臣を歴任し、のちに出家して法性寺殿と呼ばれた。九条兼実の父である。
初句「帰るさを」の「帰るさ」は、帰る途中、帰りがけをいう。
二句「急がぬほどの」は、急がなくてもよいほどの、の意である。
三句「道ならば」は、未然形に「ば」が付いた仮定条件で、道のりであるならば、の意となる。
四句「のどかに峰の」の「のどかに」は、ゆったりと、の意である。本巻の第四十四首にも「のどかに」の語が見え、院の御幸を迎えた穏やかな春の気分を伝える。
結句「花は見てまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、三句の「ならば」と呼応し、実際には急ぐ帰り道であることへの残念さを込める。前歌の第四十六首と同じ席で詠まれ、花の香に近づく院の歌に、花から離れがたい心で応じている。
かへるさ:帰る途中、帰りがけ
- 作者
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藤原忠通
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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尋ねつる花のあたりになりにけり 匂ふにしるし春の山風
- 次の歌
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山桜匂ふあたりの春霞 風をばよそに立ち隔てなむ