仮にだに厭ふ心やなからまし
散らぬ花咲くこの世なりせば
- 歌の意味
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かりそめにも、この世を厭う心などなかっただろうに。散ることのない花が咲くこの世であったならば。
- 鑑賞
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巻第一 春歌上 54
詞書「東山に花見侍りける日、よみ侍りける」
東山で花見をした日に詠んだ歌である。もし散ることのない花が咲くこの世であったならば、たとえかりそめにもこの世を厭い捨てようとする心など起こらなかっただろうに、と詠む。美しい桜もやがて散ることに世の無常を見て、花を惜しむ心と世を厭う心とを結びつけている。
作者の「右大臣」は徳大寺実定である。右大臣藤原公能の子で、千載和歌集が撰ばれたころ右大臣の任にあり、のちに左大臣に至った。後徳大寺左大臣と呼ばれた。
事実に反する仮定で桜への思いを述べる手法は、古今和歌集の在原業平の歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と通じ合う。
初句「仮にだに」の「だに」は、せめて、の意を表す副助詞で、かりそめにも、の意となる。
二句「厭ふ心や」の「厭ふ」は、この世を嫌い離れようとする意である。「や」は疑問の係助詞で、三句の「まし」と係り結びをなす。
三句「なからまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、なかっただろうに、の意となる。ここで句切れとなる。
四句「散らぬ花咲く」は、散ることのない花が咲く、の意である。
結句「この世なりせば」の「せば」は過去の助動詞「き」の未然形に「ば」が付いた形で、三句の「まし」と呼応して事実に反する仮定を表す。三句までの帰結に対して、仮定の条件をあとに置く倒置となっている。
いとふ:嫌って離れようとする
- 作者
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徳大寺実定
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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尋ね来て手折る桜の朝露に 花のたもとの濡れぬ日ぞなき
- 次の歌
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みな人の心に染むる桜花 いくしほ年に色まさるらむ