山桜惜しむ心のいくたびか
散る木のもとに行きかかるらん
- 歌の意味
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山桜を惜しむ心が、いったい幾度、花の散る木の下へと行きかかるのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 81
詞書「寛治八年前太政大臣の高陽院の家の歌合に、桜をよめる」
寛治八年(1094)、前太政大臣藤原師実の邸である高陽院で催された歌合で、「桜」を題として詠んだ歌である。散ってゆく山桜を惜しむ心は、いったい何度、花の散る木の下へと向かってゆくのだろうか、と詠む。体は動かずとも心だけが繰り返し散る花のもとへ引き寄せられるさまに、桜への尽きない愛惜を表している。
作者の「内侍周防」は周防内侍である。周防守平棟仲の娘で、後冷泉天皇から堀河天皇まで四代の天皇に内侍として仕えた。小倉百人一首にも歌が採られている。
寛治八年の高陽院七番歌合は、藤原師実が催した大規模な歌合で、院政期の歌壇を代表する催しの一つである。
初句「山桜」は、山に咲く桜で、一首の主題を示す。
二句「惜しむ心の」の「の」は主格を表し、惜しむ心が、の意となる。心を主語として、心そのものが動いてゆくように描く。
三句「いくたびか」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「らん」と係り結びをなす。何度となく、という繰り返しを問いの形で表す。
四句「散る木のもとに」は、花の散っている木の下に、の意である。本巻巻頭の第七十七首「木のもとに」と同じく、花の散り敷く木の下を詠む。
結句「行きかかるらん」の「らん」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形で、「か」の結びとなる。心が散る花のもとへ行き着くさまを推し量る。
ゆきかかる:行って、そこに引っかかる、行き着く
- 作者
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周防内侍
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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吉野山花はなかばに散りにけり 絶え絶え残る峰の白雲
- 次の歌
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春雨に散る花見ればかきくらし みぞれし空の心地こそすれ