散る花を身にかふばかり思へども
かなはで年の老いにけるかな
- 歌の意味
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散る花を、わが身と引き換えにしたいほどに思ってきたが、その願いはかなわないまま、年老いてしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 95
詞書は前の歌に続き「花の歌とてよめる」
前歌と同じく「花」を題として詠んだ歌である。散る花を惜しむあまり、わが身と引き換えにしてでも花を留めたいと思い続けてきたが、その願いはかなわず、花は毎年散り、自分はただ年老いてしまった、と詠む。花への深い愛惜と、思いを遂げられないまま老いた身の嘆きとが重ねられている。
作者の「遣因法師」は道因である。他の伝本では「道因法師」とされ、「遣」は「道」の誤りと見られる。俗名は藤原敦頼で、治部丞藤原清孝の子である。右馬助に至ったのち出家した。高齢まで和歌に執心したことで知られ、小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「散る花を」は、散る花を惜しむ心の対象を示す。
二句「身にかふばかり」は、わが身と引き換えにするほど、の意である。本巻の第九十二首「憂き身にかふる」も、花をわが身に代えたいと詠む。
三句「思へども」の「ども」は逆接の接続助詞で、そう思うけれども、の意となる。
四句「かなはで年の」の「で」は打消の接続助詞で、願いがかなわずに、の意である。花を留められないことと、身代わりにもなれず生き長らえたこととを含む。
結句「老いにけるかな」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「ける」は「けり」の連体形、「かな」は詠嘆の終助詞である。花を惜しみながら年月だけが過ぎたことへの嘆きを表す。
かふ:引き換える
かなふ:思いどおりになる
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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一枝は折りて帰らむ山桜 風にのみやは散らし果つべき
- 次の歌
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飽かなくに散りぬる花の面影や 風に知られぬ桜なるらん