月見ればまづ都こそ恋しけれ
待つらむと思ふ人はなけれど
- 歌の意味
-
月を見ると、まず都が恋しく思われる。私を待っているだろうと思う人はいないのだけれども。
- 鑑賞
-
巻第八 羈旅歌 521
詞書「尾張国に知るよしありてしばし侍りけるころ、人のもとより、都のことは忘れぬるかと言ひて侍りければ、遣はしける」
縁あって尾張国にしばらく滞在していたころ、ある人から、都のことは忘れてしまったのかと言ってきたので、贈った歌である。月を見ると、まず都が恋しく思われる、私を待っているだろうと思う人はいないけれども、と詠む。待つ人もいない身でありながら、月を見れば何よりも先に都を恋しく思うと答え、都を忘れるどころではない心を伝えている。
作者の「道因法師」は俗名を藤原敦頼という僧である。治部丞藤原清孝の子で、晩年に出家した。歌道に深く執心したことで知られ、住吉社歌合を勧進した。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「月見れば」の「ば」は已然形に付く確定条件で、月を見ると、の意である。
二句「まづ都こそ」の「こそ」は強意の係助詞で、三句の「恋しけれ」と已然形で結ぶ。
三句「恋しけれ」は「恋し」の已然形で、恋しく思われる、の意である。ここで句切れとなる。
四句「待つらむと思ふ」の「らむ」は現在推量の助動詞で、私を待っているだろうと思う、の意である。字余りの句である。本巻の第五百六首は住の江で家の者が「まつらむ」と嘆き、待つ人のいる第五百六首と、待つ人のいない本歌とが対をなしている。
結句「人はなけれど」の「ど」は逆接の接続助詞で、人はいないけれども、の意である。三句と倒置の関係にある。
しるよし:知り合いや縁故
- 作者
-
道因
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
かくばかりあはれならじを時雨るとも 磯の松が根枕ならずは
- 次の歌
-
逢坂の関には人もなかりけり 岩間の水のもるにまかせて