伊勢島や一志の浦の海人だにも
かづかぬ袖は濡るるものかは
- 歌の意味
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伊勢の一志の浦の海人でさえ、海に潜らない時の袖が濡れることがあろうか、いや濡れはしない。それなのに私の袖は、涙でいつも濡れている。
- 鑑賞
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巻第十四 恋歌四 893
詞書は前の歌に続き「恋歌とて詠める」
前歌と同じく恋の歌として詠んだ歌である。伊勢の一志の浦の海人でさえ、潜らない袖は濡れるだろうか、と詠む。海に潜って漁をする海人でさえ、潜らない時には袖は濡れないのに、自分の袖は海に入ることもないのに恋の涙でいつも濡れていると、言外に涙の多さを表している。
作者の「道因法師」は俗名を藤原敦頼という。老年に出家し、和歌への熱心さで知られ、晩年まで歌合などに出詠した。小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第八百五十九首は野で萱を刈る賤の袂と比べ、第八百八十六首は雄島の海人の袖と比べて自分の袖を詠み、本歌と同じく、働く人の濡れる袖に寄せて恋の涙を詠んでいる。
初句「伊勢島や」の「伊勢島」は伊勢国のことで、「や」は詠嘆の間投助詞である。
二句「一志の浦の」の「一志の浦」は伊勢国一志郡の浦である。
三句「海人だにも」の「海人」は漁師のことで、「だに」は類推の副助詞である。海人でさえ、の意で、言外に、まして私は、の意を含む。本巻の第八百八十六首の二句、三句「雄島の海人の袖だにも」と同じく、海人の袖を引き合いに出す。
四句「かづかぬ袖は」の「かづく」は水に潜る意で、「ぬ」は打消の助動詞である。潜らない時の袖は、の意となる。
結句「濡るるものかは」の「かは」は反語の係助詞で、濡れるだろうか、いや濡れはしない、の意である。言外に、自分の袖は涙で濡れている、の意を含めて結ぶ。
あま:漁師
かづく:水に潜る
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
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恋ひそめし心の色の何なれば 思ひ返すに返らざるらん
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思ひきや憂かりし夜半の鳥の音を 待つことにして明かすべしとは