九重に八重山吹をうつしては
井手のかはづの心をぞくむ
- 歌の意味
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九重の宮中に八重山吹を移し植えたからには、山吹を慕って鳴く井手のかはづの心を汲み取り、その寂しさを思いやることだ。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 113
詞書「堀河院御時、肥後が家によき山吹ありと聞こしめして召したりければ、奉るとて、結びつけて侍りける」
堀河天皇が、肥後の家に見事な山吹があると聞いてお召しになったので、それを献上するときに枝に結びつけた歌である。九重の宮中へ八重山吹を移し植えたからには、山吹を慕って鳴く井手のかはづの心を汲み取り、手放す私もその寂しさを思いやることだ、と詠む。宮中の「九重」と山吹の「八重」とを対にし、献上する名残惜しさを、山吹の名所井手のかはづに託して表している。
作者の「二条太皇大后宮肥後」は藤原定成の娘で、京極関白藤原師実の家に長く仕え、のちに白河天皇の皇女で二条太皇太后と呼ばれた令子内親王に仕えた。
初句「九重に」の「九重」は宮中のことで、天子の住まいが幾重もの門に囲まれていたことによる。
二句「八重山吹を」は、八重咲きの山吹を、の意である。初句の「九重」と数を重ねて対をなす。本巻の第百十一首「幾重か」、第百十六首「八重にのみ咲く」も、山吹の八重を詠む。
三句「うつしては」は、移し植えては、移したからには、の意である。
四句「井手のかはづの」は、山吹の名所井手で山吹を慕って鳴くかはづをいう。前歌の第百十二首「かはづ鳴く井手の里人」と同じく、井手とかはづとを組み合わせる。
結句「心をぞくむ」の「くむ」は、心を「酌む」すなわち推し量る意と、井手の川水を「汲む」意とを掛ける。「ぞ」は係助詞で、「くむ」と連体形で結ぶ。
ここのへ:宮中
くむ:心を「酌む」意と、川水を「汲む」意を掛ける
きこしめす:お聞きになる
- 作者
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肥後
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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山吹の花咲きにけりかはづ鳴く 井手の里人今や問はまし
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吉野川岸の山吹咲きぬれば 底にぞ深き色は見えける