花は根に鳥は古巣に帰るなり
春のとまりを知る人ぞなき
- 歌の意味
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花は根に、鳥は古巣に帰るという。だが、去ってゆく春の行き着く先を知る人はいない。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 122
詞書「百首歌召しける時、暮の春の心をよませ給ひける」
崇徳院が百首歌を召した際に、みずから「暮春(暮れの春)」を題として詠んだ歌である。散った花は根に帰り、鳥は古巣に帰るというが、去ってゆく春がどこに行き着くのか、その泊まりを知る人はいない、と詠む。花や鳥には帰る先があるのに、春だけは行方が知れないという対比で、去りゆく春を惜しむ心を深い余韻とともに表している。
作者の「崇徳院御製」は崇徳天皇である。鳥羽天皇の第一皇子で、保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。和歌を深く愛し、久安百首を召したことでも知られる。小倉百人一首にも歌が採られている。
和漢朗詠集の三月尽の詩句「花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるに益なし、鳥は谷に入らむことを期すれども定めて期を延ぶらむ」を踏まえ、花と鳥の帰る先を対句のように並べている。
初句「花は根に」は、散った花は根に帰る、の意である。本巻の第九十三首「梢にかへる花の白雪」は、散った花が梢に帰るさまを詠む。
二句「鳥は古巣に」は、鳥は古巣に帰る、の意で、初句と対句をなす。
三句「帰るなり」の「なり」は伝聞の助動詞で、帰るという、の意となる。ここで句切れとなる。前歌の第百二十一首「帰らまし」と同じく、春の終わりに「帰る」ことを詠む。
四句「春のとまりを」の「とまり」は行き着く先、泊まる所をいう。花や鳥の帰る先に対して、春の行き着く先を問う。
結句「知る人ぞなき」の「ぞ」は係助詞で、「なき」と連体形で結ぶ。春の行方を知る人はいないと言い切り、去りゆく春への寂しさを示す。本巻の第百二十九首「春の行方は知らねども」も、春の行方の知れなさを詠む。
ふるす:古い巣、もとの巣
とまり:行き着く先、泊まる所
- 作者
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崇徳院
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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我もまた春とともにや帰らまし 明日ばかりをばここに暮らして
- 次の歌
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命あらばまたもあひなむ春なれど 忍びがたくて暮らす今日かな