常よりも今日の暮るるを惜しむかな
今いくたびの春と知らねば
- 歌の意味
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いつもよりも今日の暮れてゆくのを惜しむことだ。この先あと幾度めぐり会える春なのかもわからないので。
- 鑑賞
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巻第二 春歌下 134
詞書「堀河院御時、百首歌奉りける時、春の暮をよめる」
堀河百首で「暮春」を題として詠んだ歌である。いつもの日の暮れよりも、春の終わる今日の暮れてゆくのが惜しい、この先あと幾度めぐり会える春なのかもわからないのだから、と詠む。年老いた身が残りの春の数を思い、一つ一つの春の終わりをいっそういとおしむ心を表している。
作者の「前中納言匡房」は大江匡房である。大江成衡の子で、学者として後三条、白河、堀河の三代の天皇に仕え、権中納言に至った。博識で知られ、堀河百首の作者の一人である。
初句「常よりも」は、いつもよりも、の意で、ふだんの日の暮れと春の終わる日の暮れとを比べる。
二句「今日の暮るるを」の「暮るる」は、暮れる意の動詞の連体形で、今日が暮れてゆくのを、の意となる。次歌の第百三十五首も「今日暮れぬ」と、春の終わる今日の暮れを詠む。
三句「惜しむかな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、ここで句切れとなる。
四句「今いくたびの」は、あと幾度の、の意で、自らの残りの年を思う。
結句「春と知らねば」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ば」は確定条件で、知らないので、の意となる。三句と倒置の関係にあり、惜しむ理由を後から示す。本巻の第百二十七首「幾返り」が過ぎた春の数を思ったのに対し、本歌はこれからの春の数を思う。
つね:ふだん、いつも
- 作者
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大江匡房
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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惜しめどもかひもなぎさに春暮れて 浪とともにぞたちわかれぬる
- 次の歌
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今日暮れぬ花の散りしもかくぞありし 二たび春は物を思ふよ