- 歌の意味
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葵草よ、照る日は神の御心だとでもいうのか。どうして日の光の差す方へまず葉をなびかせるのだろう。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 146
詞書「堀河院御時、百首歌奉りける時、葵をよめる」
堀河百首で「葵」を題として詠んだ歌である。葵の葉が日の差す方へまずなびくのを見て、照る日は神の御心だとでもいうのか、だから神に仕える葵は日の方へなびくのか、と問いかける。賀茂の祭に用いられる神聖な葵と、日に向かう葵の性質とを結びつけ、神への敬いを草の姿に託している。
作者の「藤原基俊」は右大臣藤原俊家の子である。堀河院歌壇で源俊頼と並び称された歌人で、千載和歌集の撰者藤原俊成の師にあたる。官位には恵まれず、従五位上にとどまった。
本歌と次歌の第百四十七首は、賀茂の祭にかかわる葵を詠む二首である。
初句「葵草」は、賀茂の祭で冠や簾に掛けて飾る双葉葵をいう。「あふひ」の「ひ」は二句の「日」と響き合う。次歌の第百四十七首も葵草を詠む。
二句「照る日は神の」は、照る日は神の、の意で、日の光を神の御心になぞらえる。
三句「心かは」の「かは」は疑問を表し、神の心だというのか、と問う。ここで句切れとなる。
四句「影さす方に」の「影」は日の光である。
結句「まづなびくらん」の「らん」は原因を推量する現在推量の助動詞で、まずなびくのだろう、の意となる。日の光に向かう葵の葉の姿を示す。
あふひぐさ:賀茂の祭に飾りとして用いる双葉葵
なびく:風や光に従って傾く
- 作者
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藤原基俊
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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焼き捨てし古野の小野の真葛原 玉巻くばかりなりにけるかな
- 次の歌
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神山の麓に馴れしあふひ草 引き別れても年ぞ経にける