あやしきは待つ人からか時鳥
鳴かぬにさへも濡るる袖かな
- 歌の意味
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不思議なのは、待つ人の心のせいだろうか。時鳥が鳴かないのにさえ、涙で濡れる袖であることよ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 151
詞書「山寺に籠りて侍りけるに、郭公の鳴かざりければよめる」
山寺にこもっていた折、時鳥が鳴かなかったので詠んだ歌である。時鳥の声を聞けば感に堪えず袖を濡らすものだが、鳴かないのにさえ袖が濡れるのは不思議だ、それは待つ自分の心のせいなのだろうか、と詠む。聞けずに待ちわびる切なさの涙を、聞いての感涙と並べて不思議がる形で、山寺で時鳥を待つ心の深さを表している。
作者の「道命法師」は右大将藤原道綱の子で、天台宗の僧となり、天王寺別当を務めた。美声で読経したことで知られ、和泉式部との交流も伝えられる。
初句「あやしきは」は、不思議なのは、の意である。
二句「待つ人からか」の「から」は原因を表し、「か」は疑問である。待つ人のせいだろうか、の意で、ここで句切れとなる。
三句「時鳥」は、四句の「鳴かぬ」の主語を示す。
四句「鳴かぬにさへも」の「さへ」は添加で、鳴かないのにさえも、の意である。鳴いて聞けば涙するのは当然として、鳴かないのにさえ、という含みをもつ。
結句「濡るる袖かな」は、涙に濡れる袖であることよ、の意で、「かな」は詠嘆の終助詞である。次歌の第百五十二首も、時鳥を待つ心を人を待つ心に重ねる。
こもる:寺などに籠って勤行する
- 作者
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道命
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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時鳥しのぶるころは山彦の 答ふる声もほのかにぞする
- 次の歌
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寝覚めするたよりに聞けば時鳥 つらき人をも待つべかりけり