- 歌の意味
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五月雨の降る中に花橘が香る夜には、月の澄みわたる秋の夜も、もうどうでもよいと思われる。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 176
詞書「百首歌召しける時、花橘の歌とてよませ給うける」
崇徳院が百首歌を召した際に、みずから「花橘」を題として詠んだ歌である。五月雨の降る夜に花橘が香っていると、月が澄みわたる秋の夜の美しさも、どうでもよいと思えるほどだ、と詠む。夜の美しさの代表とされる秋の月夜を引き合いに出し、雨の夜の花橘の香をそれにまさるものとして称えている。花橘の一連はここで結ばれ、次歌から五月雨の歌に移る。
作者の「崇徳院御製」は崇徳天皇である。鳥羽天皇の第一皇子で、保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。和歌を深く愛し、久安百首を召したことでも知られる。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「五月雨に」は、五月雨の降る中に、の意である。次歌の第百七十七首も同じ「五月雨に」を初句とし、ここから五月雨の歌へとつながる。
二句「花橘の」は、一首の主題を示す。
三句「香る夜は」の「は」は、秋の月夜と対比して示す。
四句「月澄む秋も」は、月が澄みわたる秋の夜も、の意である。夏の雨夜と秋の月夜、香りと光とを対比させる。
結句「さもあらばあれ」は、どうともなれ、かまわない、の意である。秋の月夜さえどうでもよいと言い切り、花橘の香への深い愛着を示す。
さみだれ:陰暦五月頃に降り続く長雨
すむ:澄みわたる
- 作者
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崇徳院
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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折しもあれ花橘の香るかな 昔を見つる夢の枕に
- 次の歌
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五月雨に思ひこそやれいにしへの 草の庵の夜半のさびしさ