五月雨はたく藻の煙うちしめり
潮垂れまさる須磨の浦人
- 歌の意味
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五月雨の頃は、藻塩を焼く煙もすっかり湿って、須磨の浦人はいっそう潮に濡れ、涙がちに暮らしていることだ。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 183
詞書は前の歌に続き「崇徳院に百首歌奉りける時、よめる」
前歌と同じく崇徳院に奉った百首歌の一首である。五月雨の頃は、須磨の浦で藻塩を焼く煙も湿りがちで、浦に住む海人たちは、潮水に濡れるうえに長雨にも濡れ、いっそう涙がちに暮らしているだろう、と詠む。「潮垂る」は潮水に濡れることで、涙に濡れることのたとえとしても用いられ、須磨の浦の侘しさを五月雨の湿りに重ねている。
作者の「皇太后宮大夫俊成」は藤原俊成である。権中納言藤原俊忠の子で、皇太后宮大夫を務め、正三位に至った。後白河院の院宣を受けて千載和歌集を撰んだ撰者その人であり、小倉百人一首にも歌が採られている。
古今和歌集の在原行平の歌「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」以来、須磨の浦は、海人が藻塩を焼き、涙に濡れて侘しく暮らす地として詠まれた。
初句「五月雨は」の「は」は、五月雨の頃は、と他の季節と区別して示す。
二句「たく藻の煙」は、藻塩を作るために海藻を焼く煙をいう。本巻の第百四十四首で卯の花の中に立った煙は、ここでは五月雨に湿る。
三句「うちしめり」の「うち」は接頭語で、すっかり湿って、の意である。
四句「潮垂れまさる」の「潮垂る」は、潮水に濡れてしずくが垂れる意で、涙に濡れることのたとえとしても用いられる。行平の歌の「藻塩垂れつつ」を踏まえる。
結句「須磨の浦人」は体言止めで、摂津国の歌枕須磨の浦に住む人をいう。本巻の第百八十五首も浦の藻塩木と煙を詠み、本歌と対をなす。
たくも:藻塩を作るために焼く海藻
しほたる:潮水に濡れてしずくが垂れる、涙に濡れる
うらびと:海辺に住む人
- 作者
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藤原俊成
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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五月雨に水の水嵩まさるらし 澪のしるしも見えずなりゆく
- 次の歌
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時しもあれ水の水菰を刈りあげて 干さで朽たしつ五月雨の空