時しもあれ水の水菰を刈りあげて
干さで朽たしつ五月雨の空
- 歌の意味
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ほかに時もあろうに、水辺の真菰を刈り上げたところで、干すこともできないまま腐らせてしまった。五月雨の降る空のために。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 184
詞書は前の歌に続き「崇徳院に百首歌奉りける時、よめる」
前歌と同じく崇徳院に奉った百首歌の一首である。ちょうど水辺の真菰を刈り上げたときに五月雨が降り出し、干すこともできないまま腐らせてしまった、と詠む。刈り取ったばかりの真菰が長雨のために乾かせずに朽ちてゆく悔しさを、間の悪さを表す「時しもあれ」で強調している。
作者の「藤原清輔朝臣」は左京大夫藤原顕輔の子である。六条藤家の歌学を受け継いだ当代屈指の歌学者で、「袋草紙」などの歌学書を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「時しもあれ」は、ほかに時もあろうに、折も折、の意で、間の悪さを強調する。本巻の第百七十五首「折しもあれ」も同じ形で詠み起こす。
二句「水の水菰を」の「水菰」は水辺に生える真菰で、「水」の語を重ねる。本巻の第百八十二首「水の水嵩」も同じく「水の」を重ねる。
三句「刈りあげて」は、刈り終えて、の意である。
四句「干さで朽たしつ」の「で」は打消の接続助詞、「朽たす」は腐らせる意、「つ」は完了の助動詞である。干さずに腐らせてしまった、の意で、ここで句切れとなる。本巻の第百八十一首「朽ちやしぬらん」と同じく、長雨に朽ちる草を詠む。
結句「五月雨の空」は体言止めで、腐らせた原因を最後に示す。本巻の第百七十九首と同じ結句である。
みこも:水辺に生える真菰
くたす:腐らせる
ほす:乾かす
- 作者
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藤原清輔
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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五月雨はたく藻の煙うちしめり 潮垂れまさる須磨の浦人
- 次の歌
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五月雨は海人の藻塩木朽ちにけり 浦辺に煙絶えてほど経ぬ