あはれにも操に燃ゆる蛍かな
声立てつべきこの世と思ふに
- 歌の意味
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しみじみと心を打つことに、声も立てずにじっとこらえて燃えている蛍であることよ。声をあげて泣いてもよいこの世だと思うのに。
- 鑑賞
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巻第三 夏歌 202
詞書「題しらず」
声をあげて泣いてもよいほどつらいこの世だと思うのに、蛍は声も立てずに、じっとこらえて身を燃やしている、そのさまがしみじみとあわれである、と詠む。声を立てずに光る蛍の姿に、思いを内に秘めて耐える心を見いだし、世の憂さを思う作者自身の心を重ねている。
作者の「源俊頼朝臣」は大納言源経信の子である。堀河院歌壇の中心的な歌人で、白河院の院宣を受けて金葉和歌集を撰び、歌論書「俊頼髄脳」を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
声を立てずに燃える蛍に忍ぶ思いを重ねる趣向は、後拾遺和歌集の「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ」などに先例が見られる。
初句「あはれにも」は、しみじみと心を打つことに、の意である。
二句「操に燃ゆる」の「操」は、節操を守って心を変えないこと、じっとこらえることをいう。声も立てずにひたすら燃える蛍のさまを示す。
三句「蛍かな」の「かな」は詠嘆で、ここで句切れとなる。前歌の第二百一首が結句を「来る蛍かな」としたのと同じく、蛍を「かな」で詠嘆する。
四句「声立てつべき」の「つべき」は、きっと〜してもよい、の意で、声をあげて泣いてもよい、の意である。
結句「この世と思ふに」の「に」は逆接で、この世だと思うのに、の意である。三句と倒置の関係にある。
みさを:節操を守って心を変えないこと、じっとこらえること
- 作者
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源俊頼
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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昔わが集めしものを思ひ出でて 見馴れ顔にも来る蛍かな
- 次の歌
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あさりせし水のみさびに閉ぢられて 菱の浮葉にかはづ鳴くなり