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早瀬川澪さかのぼる鵜飼舟
まづこの世にもいかが苦しき

歌の意味
流れの速い川の水路をさかのぼってゆく鵜飼舟よ。来世の報いはさておき、まずこの世においてさえ、どれほど苦しいことだろう。
鑑賞
巻第三 夏歌 205

詞書「百首歌の中に、鵜河の心をよませ給うける」
 百首歌の中で、崇徳院がみずから「鵜河(鵜飼の川)」を題として詠んだ歌である。流れの速い川の水路をさかのぼってゆく鵜飼舟を見て、殺生の罪による来世の報いはもとより、まずこの世においてさえ、急流をさかのぼる労苦はどれほど苦しいことだろう、と詠む。鵜飼を殺生の業とする仏教的な見方を踏まえつつ、鵜飼の人々の現世の苦しみに思いを寄せている。
 作者の「崇徳院御製」は崇徳天皇である。鳥羽天皇の第一皇子で、保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で没した。和歌を深く愛し、久安百首を召したことでも知られる。小倉百人一首にも歌が採られている。
 なお本文の二句は「みをさかのはる」とあり、読み仮名の行の「みをさかのほる」と一致しない。本文の「さかのはる」では意が通らないため、本文の誤写と見て、ここでは読み仮名の行に従い「さかのぼる」と解する。

 初句「早瀬川」は、流れの速い川をいう。
 二句「澪さかのぼる」の「澪」は船の通る水路で、その流れに逆らってさかのぼる、の意である。本巻の第百八十二首も澪を詠む。
 三句「鵜飼舟」は、鵜を使って鮎などを獲る鵜飼の舟をいう。ここで句切れとなる。
 四句「まづこの世にも」の「まづ」は、さしあたって、何よりも、の意で、来世の報いはさておき、この世においてさえ、という含みをもつ。
 結句「いかが苦しき」の「いかが」は疑問の副詞で、「苦しき」と連体形で結ぶ。どれほど苦しいことか、と思いやる。

うかひぶね:鵜を使って鮎などを獲る鵜飼の舟
はやせ:流れの速い瀬
みを:船の通る水路
作者
崇徳院
出典
千載和歌集
前の歌
夏深み玉江に茂る葦の葉の そよぐや船の通ふなるらん
次の歌
見るがなほこの世のものと覚えぬは 唐撫子の花にぞありける