浅茅生の露けくもあるか秋来ぬと
目にはさやかに見えけるものを
- 歌の意味
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浅茅の生えた野は、なんと露にしっとりと濡れていることか。秋が来たと、目にはっきりと見えたことであるよ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 227
詞書は前の歌に続き「秋立つ日よみ侍りける」
前歌と同じく立秋の日に詠んだ歌である。浅茅の生えた野が一面に露に濡れているのを見て、秋が来たことが、目にもはっきりと見えたことだ、と詠む。秋の訪れは目に見えないという古歌に対し、露という目に見えるしるしによって秋を知ったと詠み返した点に趣向がある。
作者の「仁和寺法親王(守覚)」は後白河天皇の第二皇子である。出家して仁和寺に入り、仁和寺の御室となった。和歌を好み、多くの歌人に百首歌を詠ませた。
古今和歌集の藤原敏行の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を本歌とし、「見えねども」を「見えけるものを」と反転させている。前歌の第二百二十六首が風の音という耳で秋を知ったのに対し、本歌は露という目で秋を知っており、二首は聴覚と視覚とで対をなす。
初句「浅茅生の」の「浅茅生」は、丈の低い茅萱が一面に生えている所をいう。本巻の第二百七十二首「小野の浅茅生」も同じ語を詠む。
二句「露けくもあるか」の「露けし」は露にしっとり濡れている意で、「か」は詠嘆を表す。なんと露っぽいことか、と驚く心を示し、ここで句切れとなる。
三句「秋来ぬと」は、前歌の第二百二十六首と同じ句で、秋が来たと、の意である。本歌の古今和歌集の初句をそのまま用いる。
四句「目にはさやかに」の「さやかに」は、はっきりと、の意である。本歌の「目にはさやかに見えねども」を受ける。
結句「見えけるものを」の「ける」は気づきを表す助動詞「けり」の連体形、「ものを」は詠嘆を表す。本歌の「見えねども」を反転させ、露によって秋がはっきり見えたのだ、という発見を示す。
あさぢふ:丈の低い茅萱が一面に生えている所
- 作者
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守覚法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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秋来ぬと聞きつるからに我が宿の 荻の葉風の吹きかはるらん
- 次の歌
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秋の来るけしきの森の下風に 立ち添ふものはあはれなりけり