跡絶えて世をのがるべき道なれや
岩さへ苔の衣着てけり
- 歌の意味
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人の足跡も絶えて、世を逃れて入っていくべき道だからだろうか、岩までもが苔の衣を着て、僧の姿になっていることだ。
- 鑑賞
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巻第十七 雑歌中 1107
詞書「高野に詣で侍りける時、山路にて詠み侍りける」
高野山に参詣した時、山路で詠んだ歌である。人跡も絶えて世を逃れるべき道だからだろうか、岩までも苔の衣を着ていることだ、と詠む。苔の衣は僧や隠者の粗末な衣を言う。高野山へ向かう人里離れた山道で、苔に覆われた岩を見て、まるで岩までが出家して僧衣をまとっているようだと見立て、世を逃れる聖地への道にふさわしい景を詠んでいる。
作者の「仁和寺法親王(守覚)」は守覚法親王である。後白河天皇の第二皇子で、仁和寺に入って御室となった。和歌を好み、多くの歌人と交わった。
本巻の第千百九首の三句「苔むしろ」と苔を共有し、ともに修行の地の苔を詠む。
初句「跡絶えて」は、人の行き来の跡も絶えて、の意である。
二句「世をのがるべき」は、世を逃れて入るべき、の意である。
三句「道なれや」の「なれ」は断定の助動詞「なり」の已然形で、「や」とともに、道だからだろうか、と疑問を交えて理由を表す。ここで句切れとなる。
四句「岩さへ苔の」の「さへ」は添加の副助詞で、岩までも、の意である。本巻の第千百九首の三句「苔むしろ」と苔を共有する。
結句「衣着てけり」は、衣を着ていることだ、の意で、「苔の衣」は僧衣を言う。岩を出家した人に見立てている。
こけのころも:苔を衣に見立てた語で、僧や隠者の粗末な衣
かうや:紀伊国の高野山、空海の開いた金剛峯寺がある
- 作者
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守覚法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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このもとはかく言の葉を見るたびに 頼みしかげのなきぞ悲しき
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思ひ出のあらば心もとまりなん 厭ひやすきは憂き世なりけり