ながめやる心の果てぞなかりける
あかしの沖に澄める月影
- 歌の意味
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はるかに眺めやる心には、果てというものがないことだ。明石の沖に明るく澄みわたる月の光よ。
- 鑑賞
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巻第四 秋歌上 291
詞書「海辺月といへる心をよめる」
「海辺月(海辺の月)」という題で詠んだ歌である。明石の沖に明るく澄みわたる月の光を眺めやっていると、その心はどこまでも広がって果てがない、と詠む。地名の「明石」に明るい意を重ね、海上に果てしなく広がる月光と、それを追う心の果てしなさとを重ねている。
作者の「俊恵法師」は源俊頼の子で、東大寺の僧となった。京の白川の自坊を歌林苑と名づけて多くの歌人を集め、鴨長明の師としても知られる。小倉百人一首にも歌が採られている。
結句の「澄める月影」は、本巻の第二百八十四首、第二百八十五首と同じであり、水辺に澄む月を詠む歌が続く。
初句「ながめやる」は、遠くを眺める、はるかに見やる、の意である。
二句「心の果てぞ」の「ぞ」は係助詞で、三句の「ける」と係り結びをなす。
三句「なかりける」は、果てがないことだ、の意で、「ぞ」の結びとなる。ここで句切れとなり、四句以下と倒置の関係にある。
四句「あかしの沖に」の「あかし」は、播磨国の歌枕の「明石」と、明るい意の「明かし」とを掛ける。月の明るさを地名に重ねる。
結句「澄める月影」は体言止めで、本巻の第二百八十四首、第二百八十五首と同じ結句である。
ながめやる:遠くを眺める、はるかに見やる
あかし:播磨国の歌枕の「明石」と、明るい意の「明かし」を掛ける
- 作者
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俊恵
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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常よりも身にぞしみける秋の野に 月澄む夜半の荻の上風
- 次の歌
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八百日行く浜の真砂を敷きかへて 玉になしつる秋の夜の月