- 歌の意味
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大井川を流れて下ってゆく紅葉であることよ。紅葉を誘い去るのは、峰の嵐だけであろうか、いや川の流れもまた誘うのだ。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 371
詞書は前の歌に続き「大井河に紅葉見にまかりてよめる」
大井川に紅葉を見に出かけて詠んだ歌である。大井川を紅葉が流れ下ってゆく、紅葉を誘って連れ去るのは峰の嵐だけだろうか、いや川の流れもまた紅葉を誘ってゆく、と詠む。紅葉を散らす嵐と、それを運び去る川の流れとを並べ、紅葉の行方を惜しんでいる。
作者の「道因法師」は藤原敦頼である。藤原清孝の子で、晩年に出家した。歌道への執心の深さで知られ、小倉百人一首にも歌が採られている。
前歌の第三百七十首と同じ時に大井川で詠まれた歌である。前歌が嵐が紅葉を吹きおろすさまを詠んだのに対し、本歌は嵐ばかりでなく川も紅葉を誘うと詠む。
初句「大井川」は山城国の川で、前歌の第三百七十首の三句と同じ川を詠む。
二句「流れて落つる」は、流れに乗って下ってゆく、の意である。
三句「紅葉かな」の「かな」は詠嘆で、ここで句切れとなる。
四句「誘ふは峰の」の「誘ふ」は、風などが花や葉を誘い出して散らす意である。本巻の第三百六十二首の「嵐の誘ふ」と同じく、紅葉を誘うものを詠む。
結句「嵐のみかは」の「かは」は反語で、峰の嵐だけであろうか、いやそうではない、と川の流れもまた紅葉を誘うことをいう。前歌の第三百七十首の「嵐の山」と対応する。
さそふ:風などが花や葉を誘い出して散らす
おほゐがは:山城国の川で、嵐山のふもとを流れる
- 作者
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道因
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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今日見れば嵐の山は大井川 紅葉吹きおろす名にこそありけれ
- 次の歌
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今ぞ知る手向の山は紅葉葉の 幣と散り交ふ名こそありけれ