今ぞ知る手向の山は紅葉葉の
幣と散り交ふ名こそありけれ
- 歌の意味
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今こそわかった。手向の山というのは、紅葉が幣のように散り乱れることから付いた名なのであった。
- 鑑賞
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巻第五 秋歌下 372
詞書「百首歌の中に、紅葉をよめる」
百首歌の中で紅葉を詠んだ歌である。今こそわかった、手向の山という名は、紅葉が神に捧げる幣のように散り乱れることから付いた名なのだ、と詠む。散り乱れる紅葉を幣に見立て、山の名の由来をそこに見いだしている。
作者の「藤原清輔朝臣」は左京大夫藤原顕輔の子である。六条藤家の歌学を継ぎ、歌学書「袋草紙」「奥義抄」を著した。小倉百人一首にも歌が採られている。
古今和歌集の菅原道真の歌「このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」を踏まえる。本巻の第三百七十首が嵐山の名の由来を紅葉に見いだしたのと同じく、本歌は手向山の名の由来を紅葉に見いだす。
なお本文の結句は「名こそ有りけれ」とあり、読み仮名の行の「なにこそありけれ」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「今ぞ知る」の「ぞ」は係助詞で、「知る」と連体形で結ぶ。今こそわかった、と発見の喜びを示す。ここで句切れとなる。
二句「手向の山は」の「手向の山」は、旅人が道の神に幣を手向けることから名付けられた山である。
三句「紅葉葉の」は、四句の「幣と散り交ふ」の主語を示す。
四句「幣と散り交ふ」の「幣」は神に捧げる供え物で、布や紙を細かく切ったものである。「散り交ふ」は入り乱れて散る意で、散る紅葉を幣に見立てる。
結句「名こそありけれ」の「こそ」は係助詞で、「けれ」と已然形で結ぶ。そういう名であったのだ、と名の由来を示す。本巻の第三百七十首の結句「名にこそありけれ」と対応する。
たむけのやま:旅人が道の神に幣を手向けることから名付けられた山
ぬさ:神に捧げる供え物で、布や紙を細かく切ったもの
ちりかふ:入り乱れて散る
- 作者
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藤原清輔
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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大井川流れて落つる紅葉かな 誘ふは峰の嵐のみかは
- 次の歌
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竜田山麓の里は遠けれど 嵐のつてに紅葉をぞ見る