木の葉散るとばかり聞きてやみなまし
漏らで時雨の山巡りせば
- 歌の意味
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木の葉が散る音だとばかり聞いて終わってしまっただろう。時雨が屋根から漏れることなく、ただ山を巡っているだけであったならば。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 405
詞書「時雨の歌とてよみ侍りける」
時雨の歌として詠んだものである。時雨が屋根から漏れることなく山を巡るだけであったならば、その音を木の葉が散る音だとばかり聞いて終わっただろう、と詠む。屋根から雨が漏れてきて初めて、聞いていた音が時雨であったと気づいたという趣向である。
作者の「仁和寺後入道法親王(覚性)」は鳥羽天皇の皇子である。仁和寺の第五世門跡となり、紫金台寺御室と呼ばれた。
前歌の第四百四首が、時雨と思った音が木の葉であったと詠むのに対し、本歌は木の葉と思った音が時雨であったと詠む。同じ聞き違いを反対の向きから詠んだ二首が並べられている。
初句「木の葉散る」は、木の葉が散る音を指す。前歌の第四百四首の結句「木の葉なるらん」と呼応する。
二句「とばかり聞きて」の「ばかり」は限定で、木の葉が散るのだとだけ聞いて、の意である。
三句「やみなまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、結句の「せば」と呼応する。そのまま終わってしまっただろう、の意で、ここで句切れとなる。下の句と倒置になっている。
四句「漏らで時雨の」の「で」は打消しの接続助詞で、漏れずに、の意である。前歌の第四百四首の「漏らぬ時雨」と同じ趣を裏返している。
結句「山巡りせば」の「山巡り」は、時雨が山々を巡って降ることをいう。「せば」は反実仮想の仮定で、三句の「まし」と呼応する。本巻の第四百八首も「山巡る雲」と同じ語を詠む。
やむ:そのまま終わる
やまめぐり:時雨などが山々を巡って降ること
- 作者
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覚性法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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まばらなる槙の板屋に音はして 漏らぬ時雨や木の葉なるらん
- 次の歌
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独り寝の涙や空に通ふらむ 時雨に曇る有明の月