- 歌の意味
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ほととぎすよ、ゆかりのこの地に今日お前が来なかったならば、誰が昔を恋しがって鳴くだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 588
詞書「待賢門院隠れさせ給うて後、法金剛院にて郭公の鳴き侍りけるに」
母の待賢門院が亡くなったのち、女院ゆかりの法金剛院でほととぎすが鳴いた時に詠んだ歌である。ほととぎすよ、今日このゆかりの地に来なかったならば、誰が昔を恋しがって鳴くだろうか、と詠む。昔を恋しがって鳴くとされるほととぎすの声に、亡き母をしのんで泣く自らの心を重ね、ともに昔を恋う者のいることを慰めとしている。法金剛院は待賢門院が再興した寺である。
作者の「仁和寺後入道法親王(覚性)」は鳥羽天皇の第五皇子で、母は待賢門院璋子である。仁和寺に入って御室となり、和歌にも優れた。
古今和歌集の壬生忠岑の歌に、ほととぎすは昔が今も恋しいのか、古里にばかり鳴いてくるのだろうか、と詠むものがあり、本歌はこの昔を恋うほととぎすの発想を踏まえている。本巻では第五百五十五首、第五百八十二首にもほととぎすが詠まれる。
なお本文の四句は「誰か昔を」とあり、読み仮名の行の「たれとむかしを」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
初句「故郷に」の「故郷」は、昔なじみのゆかりの地をいい、ここでは待賢門院ゆかりの法金剛院を指す。
二句「今日来ざりせば」の「ざり」は打消しの助動詞「ず」の連用形、「せ」は過去の助動詞「き」の未然形で、「ば」が付いて、今日来なかったならば、の仮定条件となる。結句の「まし」と呼応する反実仮想である。
三句「郭公」は呼びかけで、ここで句切れとなる。本巻の第五百五十五首、第五百八十二首にも詠まれる。
四句「誰か昔を」の「か」は疑問の係助詞で、結句の「まし」と連体形で結ぶ。
結句「恋ひて鳴かまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、鳴くだろうか、の意である。ほととぎすの「鳴く」に、作者の「泣く」心を重ねる。
ふるさと:昔なじみの地、ゆかりの地
ほととぎす:初夏に鳴く鳥で、昔を恋うて鳴くともされた
- 作者
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覚性法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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椎柴の露けき袖は七夕も 貸さぬにつけてあはれとや見ん
- 次の歌
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常に見し君が御幸を今日問へば 帰らぬ旅と聞くぞ悲しき