水鳥を水の上とやよそに見む
我もうきたる世を過ぐしつつ
- 歌の意味
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水鳥を、水の上のことだとよそごとに見ることができようか。私もまた浮いたような、つらい世を過ごしているのに。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 430
詞書「題しらず」
水鳥を、水の上の自分とは関わりのないものとしてよそごとに見ることができようか、私もまた浮いたようなつらい世を過ごしているのに、と詠む。水に浮かぶ水鳥の姿に、落ち着くところのない我が身を重ね、宮仕えの身の憂いを表している。
作者の「紫式部」は越前守藤原為時の娘である。一条天皇の中宮彰子に仕え、「源氏物語」「紫式部日記」を著した。中古三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
本歌は「紫式部日記」に見え、華やかな宮中の行事を前にしながら、池に遊ぶ水鳥を見て我が身の憂さを思う場面で詠まれている。
初句「水鳥を」は、池などの水に浮かんで遊ぶ鳥をいう。前歌の第四百二十九首の鴛鴦に続き、水鳥を詠む。
二句「水の上とや」の「水の上」は、水の上の出来事、自分とは関わりのない世界をいう。「や」は反語の係助詞で、三句の「む」と連体形で結ぶ。
三句「よそに見む」の「よそに見る」は、自分とは関わりのないものとして見る意である。よそごとに見られようか、見られはしない、と反語で示し、ここで句切れとなる。
四句「我もうきたる」の「うき」は、水に浮く意の「浮き」と、つらい意の「憂き」とを掛ける掛詞である。
結句「世を過ぐしつつ」の「つつ」は継続を表し、つらい世を過ごしながら、の意である。
よそにみる:自分とは関わりのないものとして見る
うく:水に浮く意の「浮き」と、つらい意の「憂き」を掛ける
- 作者
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紫式部
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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かたみにや上毛の霜を払ふらむ 友寝の鴛鴦の諸声に鳴く
- 次の歌
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水鳥の玉藻の床のうき枕 深き思ひは誰かまされる