- 歌の意味
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波が打ち寄せたならば、汀の雪も消えてしまうだろう。それを思ってか、心があって凍っている池であることよ。
- 鑑賞
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巻第六 冬歌 456
詞書「遍照寺にて、池辺雪といへる心をよみ侍りける」
遍照寺で、池辺雪、すなわち池のほとりの雪という題で詠んだ歌である。波が打ち寄せたならば汀の雪も消えてしまうだろう、それを思って心があって凍っているような池であることよ、と詠む。池が凍るのを、岸辺の美しい雪を波で消さないための池の思いやりと見なし、池に人の心を認める機知の歌である。
作者の「仁和寺法親王(守覚)」は後白河天皇の皇子である。仁和寺の第六世門跡となり、北院御室と呼ばれた。和歌を好み、歌人たちと広く交わった。
第四百四十五首から第四百六十七首まで、雪を詠む歌が続く。本巻の第三百九十二首は、澄む水を心なしとは誰が言うのか、氷となって冬の始まりを知る、と水に心を認めた。本歌も凍る池に心を認めており、二首は同じ趣向を、冬の初めと雪の季節という異なる時期で詠んでいる。遍照寺は京の嵯峨にあった寺で、広沢池のほとりにあり、月の名所として知られた。
初句「波かけば」の「ば」は未然形について仮定を示し、波がかかったならば、の意である。
二句「汀の雪も」の「汀」は、水際、波打ち際である。
三句「消えなまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、消えてしまうだろうに、の意である。ここで句切れとなる。
四句「心ありても」は、心があって、の意で、池を人のように扱う擬人法である。本巻の第三百九十二首の「心なしとは誰か言ふ」と同じく、水に心を認めている。
結句「凍る池かな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、雪を守るために凍る池への感動を示す。
みぎは:水際、波打ち際
- 作者
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守覚法親王
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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雪積もる峰に吹雪や渡るらむ 越の御空に迷ふ白雲
- 次の歌
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山里の垣根は雪に埋もれて 野辺と一つになりにけるかな