わたの原遥かに波を隔て来て
都に出でし月を見るかな
- 歌の意味
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大海原のはるかな波を隔ててやって来て、都で出ていたのと同じ月を見ることだ。
- 鑑賞
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巻第八 羈旅歌 516
詞書「世を背きてのち、修行し侍りけるに、海路に月を見てよめる」
出家ののち修行の旅をしていた時、海路で月を見て詠んだ歌である。大海原のはるかな波を隔ててやって来て、都で見ていたのと同じ月を見ることだ、と詠む。遠く海を越えて来た地でも、月だけは都と変わらずに出ていることに、都への懐かしさと旅の遠さとを感じている。
作者の「円位法師」は西行である。俗名を佐藤義清といい、鳥羽院の北面の武士であったが、二十三歳で出家した。円位はその法名である。諸国を旅して多くの歌を詠み、小倉百人一首にも歌が採られている。
古今和歌集の阿倍仲麻呂の歌に、唐土で月を仰いで故郷の三笠の山に出た月だろうかと詠むものがあり、本歌の「出でし月」もこれを思わせる。
初句「わたの原」は大海原の意である。本巻の第五百三十首も同じ「わたの原」で始まる。
二句「遥かに波を」は、はるか遠くまで波を、の意である。
三句「隔て来て」は、間に隔ててやって来て、の意で、都から遠く離れたことをいう。
四句「都に出でし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、都で出ていた、の意である。阿倍仲麻呂の歌の「出でし月かも」を思わせる。
結句「月を見るかな」の「かな」は詠嘆の終助詞である。
わたのはら:大海原
よをそむく:出家する
- 作者
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西行
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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浦伝ふ磯の苫屋の梶枕 聞きも習はぬ波の音かな
- 次の歌
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定めなき憂き世の中と知りぬれば いづこも旅の心地こそすれ