くちなしの園にや我が身入りにけん
思ふことをも言はでやみぬる
- 歌の意味
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口無しという名をもつ梔子の園に、私の身は入ってしまったのだろうか。心に思っていることも口に出して言わないまま、終わってしまうことだ。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 549
詞書「煩ひ侍りけるがいと弱くなりけるに、いかなる形見にかありけむ、山吹なる衣を脱ぎて、その女に遣はし侍りける。又言はく、身まかりて後、女の夢に見えてかく詠み侍りけるとも」
病に伏してひどく弱ってきた時、何の形見のつもりであったのか、山吹色の衣を脱いで、ある女のもとに贈った歌である。また一説には、亡くなったのち女の夢に現れてこのように詠んだともいう。口無しという名の梔子の園に私の身は入ってしまったのだろうか、思うことも言わないまま終わってしまう、と詠む。山吹色は梔子の実で染めることから、贈った衣の色に「口無し」を響かせ、女への思いを言葉にできないまま死んでゆく無念を表している。
作者の「藤原道信朝臣」は太政大臣藤原為光の子である。左近衛中将に至ったが、正暦五年(994)に二十三歳の若さで没した。中古三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも歌が採られている。
次歌の第五百五十首は、道信の葬送の翌朝に藤原頼孝が詠んだ歌で、道信自身の歌のあとに、その死を悼む歌が置かれている。
初句「くちなしの」は、山吹色の染料となる梔子に、口が無い、すなわち物を言わない意を掛ける掛詞である。詞書の山吹色の衣と結びつく。
二句「園にや我が身」の「や」は疑問の係助詞で、三句の「けん」と連体形で結ぶ。梔子の園に我が身が入ったのか、の意である。
三句「入りにけん」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「けん」は過去推量の助動詞で、入ってしまったのだろうか、の意である。ここで句切れとなる。
四句「思ふことをも」は、心に思っていることも、の意で、女への思いをいう。
結句「言はでやみぬる」の「で」は打消しの接続助詞、「やみ」は終わる意、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、言わないまま終わってしまう、の意である。連体形で止めて余情を残し、初句の「くちなし」と照応する。
くちなし:山吹色の染料となる梔子と、口が無い意を掛ける
やまぶき:山吹の花の色で、梔子の実で染める黄色
わづらふ:病気になる
やむ:終わる、途絶える
- 作者
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藤原道信
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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惜しきかな形見に着たる藤衣 ただこの頃に朽ち果てぬべし
- 次の歌
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思ひかね昨日の空を眺むれば それかと見ゆる雲だにもなし