現とも夢ともえこそ分きはてね
いづれの時をいづれとかせん
- 歌の意味
-
この世のことは、現実とも夢とも、すっかり見分けることなどできない。どの時を現実とし、どの時を夢とすればよいのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第九 哀傷歌 551
詞書「世のはかなきことをよませ給うける」
世の中のはかなさを題としてお詠みになった歌である。現実とも夢とも、すっかり見分けることはできない、どの時を現実とし、どの時を夢とすればよいのだろうか、と詠む。人の生死の移ろいやすさを前にして、生きている今さえ現実か夢か定めがたいという無常の思いを、「いづれ」の繰り返しで表している。
作者の「花山院御製」は、冷泉天皇の第一皇子で第六十五代の天皇であった花山院の詠んだ歌を示す。花山院は寛和二年(986)に十九歳で出家して退位し、諸国の霊場を巡った。拾遺和歌集の撰集にかかわったともいわれる。
本巻の第五百六十七首の上東門院の歌も「現とも」で始まり、亡き一条院との日々を夢とも現とも分けられないと詠んで、本歌と響き合う。
初句「現とも」は、現実とも、の意で、二句の「夢とも」と対になる。本巻の第五百六十七首も同じ「現とも」で始まる。
二句「夢ともえこそ」の「え」は打消しの語と呼応して不可能を表す副詞、「こそ」は強意の係助詞で、三句の「ね」と已然形で結ぶ。
三句「分きはてね」の「分き」は区別する意、「はて」はすっかりし終える意で、「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形である。すっかり見分けることはできない、の意で、ここで句切れとなる。
四句「いづれの時を」は、どの時を、の意である。
結句「いづれとかせん」の「か」は疑問の係助詞で、「せん」と連体形で結ぶ。どれと定めればよいのか、の意である。四句と結句で「いづれ」を重ね、現と夢の定めがたさを強める。
わく:区別する、見分ける
うつつ:現実、目覚めている状態
- 作者
-
花山院
- 出典
-
千載和歌集
- 前の歌
-
思ひかね昨日の空を眺むれば それかと見ゆる雲だにもなし
- 次の歌
-
桜花見るにも悲しなかなかに 今年の春は咲かずぞあらまし