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誰もみな止まるべきにはあらねども
後るるほどは猶ぞ悲しき

歌の意味
誰もがみなこの世にとどまれるわけではないけれど、後に残されている間は、やはり悲しいことだ。
鑑賞
巻第九 哀傷歌 559

詞書「返事」
 前歌の大弐三位の歌への返歌である。誰もがみなこの世にとどまれるわけではないけれど、後に残されている間はやはり悲しい、と詠む。人は皆いつか死ぬという慰めの道理を認めながらも、残された者の悲しみはそれで消えるものではないと、率直に答えている。
 作者の「大納言長家」は摂政藤原道長の六男である。権大納言に至り、御子左家の祖となった。本集の撰者藤原俊成の曽祖父にあたる。
 前歌の第五百五十八首との贈答で、前歌の「誰も」「止まるべき」の語をそのまま受けて返している。

 初句「誰もみな」は、誰もがみな、の意である。前歌の四句「誰もつひには」を受ける。
 二句「止まるべきには」の「べき」は可能の助動詞「べし」の連体形で、この世にとどまっていられる、の意である。前歌の結句「止まるべきかは」を受ける。
 三句「あらねども」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形、「ども」は逆接の接続助詞で、そうではないけれども、の意である。
 四句「後るるほどは」の「後る」は先立たれて後に残る意で、後に残されている間は、の意である。
 結句「猶ぞ悲しき」の「ぞ」は強意の係助詞で、「悲しき」と連体形で結ぶ。やはり悲しい、の意である。

おくる:死に後れる、先立たれる
作者
藤原長家
出典
千載和歌集
前の歌
悲しさをかつは思ひも慰めよ 誰もつひには止まるべきかは
次の歌
おほかたにさやけからぬか月影は 涙曇らぬ人に見せばや