墨染の袂にかかるねを見れば
あやめも知らぬ涙なりけり
- 歌の意味
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喪服の墨染の袂に掛かる菖蒲の根を見ると、菖蒲の節句であることも、物の分別もわからないほどに、泣く音とともにこぼれる涙なのであった。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 572
詞書「少将に侍りける時、大納言忠家隠れ侍りける後、五月五日、中納言国信中将に侍りける時、消息して侍りけるついでに、遣はしける」
作者が少将であった時、父の大納言藤原忠家が亡くなったのち、五月五日の端午の節句に、当時中将であった源国信が便りをくれたついでに贈った歌である。墨染の袂に掛かる菖蒲の根を見ると、あやめも知らない涙であった、と詠む。端午の節句には菖蒲を身につけるが、喪中の身には節句を祝う心もなく、物の分別もつかないほどに涙が流れるという悲しみを、菖蒲にまつわる掛詞によって表している。忠家は寛治五年(1091)に没した。
作者の「権中納言俊忠」は大納言藤原忠家の子である。権中納言に至り、本集の撰者藤原俊成の父にあたる。
次歌の第五百七十三首は国信の返歌である。本巻の第五百五十六首、第五百五十七首の贈答も、菖蒲の根に泣く音を掛けて喪の悲しみを詠んでおり、同じ趣向の贈答が二組置かれている。
初句「墨染の」は、墨で染めたような黒い喪服をいう。前歌の第五百七十一首の「墨染の袂」と同じ語を用いる。
二句「袂にかかる」は、端午の節句に身につける菖蒲の根が袂に掛かる意で、涙が袂にかかる意をも響かせる。
三句「ねを見れば」の「ね」は、菖蒲の根に泣く音を掛ける掛詞である。本巻の第五百五十六首の「折ならぬねを」と同じ趣向である。
四句「あやめも知らぬ」の「あやめ」は、菖蒲と、物の筋目や分別の意の文目とを掛ける掛詞である。節句であることも、物の分別もわからない、の意となる。
結句「涙なりけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、涙なのであった、の意である。
ね:菖蒲の根と、泣く音を掛ける
あやめ:菖蒲と、物の筋目や分別の意の文目を掛ける
せうそこ:手紙、便り
すみぞめ:墨で染めたような黒い色、また喪服
- 作者
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藤原俊忠
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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乾く間もなき墨染の袂かな 朽ちなば何を形見にもせん
- 次の歌
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あやめ草うきねを見ても涙のみ かくらん袖を思ひこそやれ