教へ置くその言の葉を見るたびに
又問ふ方のなきぞ悲しき
- 歌の意味
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父が教え残しておいたその言葉を見るたびに、もう二度と尋ねる相手のいないことが悲しい。
- 鑑賞
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巻第九 哀傷歌 590
詞書「大炊御門右大臣身まかりて後、かの記し置きて侍りける私記どもの侍りけるを見て、よみ侍りける」
父の大炊御門右大臣藤原公能が亡くなったのち、父が書き残しておいた私記の数々を見て詠んだ歌である。教え残しておいたその言葉を見るたびに、また尋ねる相手のいないことが悲しい、と詠む。父の記録は朝廷の儀式などの心得を子に伝えるものであったが、読んでわからないことがあっても、もう父に尋ねることはできないという喪失感を表している。
作者の「右大臣」は藤原実定である。右大臣藤原公能の子で、千載和歌集の成立当時は右大臣であり、のちに左大臣に至った。後徳大寺左大臣と呼ばれ、小倉百人一首にも歌が採られている。
本巻の第五百八十六首、第五百八十七首の贈答に続き、公能の死を悼む歌である。巻第七の第四百九十四首も「教へ置く」で始まり、そこでは流される者が弟子に秘曲を形見として教え残し、本歌では残された子が父の教えを見て悲しむ。
初句「教へ置く」は、教え残しておく、の意である。巻第七の第四百九十四首と同じ初句である。
二句「その言の葉を」の「言の葉」は言葉の意で、父の私記に記された教えをいう。
三句「見るたびに」は、見るたびごとに、の意である。
四句「又問ふ方の」の「問ふ」は尋ねる意、「方」は相手の意で、もう尋ねる相手の、の意である。前歌の第五百八十九首の「今日問へば」と、「問ふ」の語を同じくする。
結句「なきぞ悲しき」の「ぞ」は強意の係助詞で、「悲しき」と連体形で結ぶ。前歌の結句「聞くぞ悲しき」と同じ結びである。
しき:個人が書き記した日記や記録
ことのは:言葉
とふ:尋ねる、問う
- 作者
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藤原実定
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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常に見し君が御幸を今日問へば 帰らぬ旅と聞くぞ悲しき
- 次の歌
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鳥辺山思ひやるこそ悲しけれ ひとりや苔の下に朽ちなん