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吹く風も木々の枝をば鳴らさねど
山は八千代の声ぞ聞こゆる

歌の意味
吹く風も木々の枝を鳴らさないほど穏やかに治まった世であるが、山からは八千代を寿ぐ声が聞こえてくる。
鑑賞
巻第十 賀歌 622

詞書「百首歌召しける時、祝ひの心を詠ませ給うける」
 百首歌を召した時に、祝いの題で詠んだ歌である。吹く風も木々の枝を鳴らさないが、山からは八千代を寿ぐ声が聞こえる、と詠む。風が枝を鳴らさないとは、中国で太平の世をたとえる「風、条を鳴らさず」の言葉を踏まえたもので、世がよく治まって穏やかなことをいう。また、漢の武帝が嵩山に登った時、山中から万歳を唱える声が聞こえたという故事を踏まえ、太平の世と御代の長久を祝っている。この百首歌は久安百首である。
 作者の「崇徳院御製」は、鳥羽天皇の第一皇子で第七十五代の天皇であった崇徳院の詠んだ歌を示す。母は待賢門院璋子である。和歌を好み、久安百首を召し、詞花和歌集の撰集を命じた。保元の乱に敗れて讃岐に配流され、その地で崩じた。小倉百人一首にも歌が採られている。
 本巻の第六百三十首も、笛の万歳楽に山が答えるようだったと詠み、山が万歳を唱えるという同じ故事を踏まえている。

 初句「吹く風も」は、吹く風さえも、の意である。
 二句「木々の枝をば」の「をば」は格助詞「を」に係助詞「は」が付いて濁ったもので、目的語を強める。
 三句「鳴らさねど」の「ね」は打消しの助動詞「ず」の已然形で、「ど」が付いて逆接となる。風が枝を鳴らさないのは、世がよく治まっているしるしである。
 四句「山は八千代の」の「八千代」は限りなく長い年月をいう。漢の武帝の時、嵩山で万歳の声が聞こえたという故事を踏まえる。第六百三十首の四句「山も答ふる」と共通する発想である。
 結句「声ぞ聞こゆる」の「ぞ」は強意の係助詞で、「聞こゆる」の連体形で結ぶ。風の音もない静けさの中に、山の声が聞こえるという対照が際立つ。

やちよ:八千年。限りなく長い年月
めす:お召しになる、取り寄せる
作者
崇徳院
出典
千載和歌集
前の歌
千早ぶる神代のことも人ならば 問はましものを白菊の花
次の歌
千代経べき始めの春と知り顔に 気色異なる花桜かな