幾千代と限らぬ鶴の声すなり
雲居の近き宿のしるしに
- 歌の意味
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幾千代と限りなく生きる鶴の声が聞こえる。雲居、すなわち内裏に近い我が宿であるしるしとして。
- 鑑賞
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巻第十 賀歌 627
詞書「二条院御時、大炊御門高倉の内裏に侍りけるに、同じき西の町の家にて、初めて詩歌を講じ侍りけるに、鶴契遐年といへる心を詠み侍りける」
二条天皇の御代、大炊御門高倉に内裏があった頃、その西の町にある作者の家で初めて詩歌の会を催した折に、「鶴は遐年を契る」という題で詠んだ歌である。幾千代と限りない寿命の鶴の声がする、雲居に近い宿のしるしとして、と詠む。高く鳴く鶴の声を、内裏の近くにある我が家の長久を告げるものとして、家の新たな門出と御代とをともに祝っている。
作者の「大炊御門右大臣」は藤原公能である。左大臣藤原実能の子で、右大臣に至った。後徳大寺左大臣藤原実定の父である。
本巻巻頭の第六百六首と同じ初句「幾千代と」で始まり、二句の「限らぬ」も第六百六首の「限らざりける」と共通する。前の第六百二十四首から鶴を詠む歌が続く。
初句「幾千代と」は、どれほどの千代と、の意である。巻頭の第六百六首と同じ初句である。
二句「限らぬ鶴の」は、寿命を限らない鶴の、の意で、題の「遐年」を受ける。鶴は千年の寿命を持つとされた。第六百二十四首の三句「飛ぶ鶴の」と共通する。
三句「声すなり」の「なり」は音や声によって判断する推定の助動詞で、声が聞こえる、の意である。ここで句切れとなる。
四句「雲居の近き」の「雲居」は空の意で、宮中の意にも用いる語である。鶴が空高く鳴く意と、内裏に近い意を重ねる。
結句「宿のしるしに」の「宿」は作者の家、「しるし」は兆し、証の意である。本巻の第六百十九首、第六百三十六首、第六百四十首も「しるし」と詠む。
くもゐ:空。転じて宮中
たづ:鶴の歌語
かうず:歌会で詠まれた歌を読み上げて披露する
- 作者
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藤原公能
- 出典
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千載和歌集
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百千度浦島の子は帰るとも 藐姑射の山は常盤なるべし
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千歳経る尾上の小松移し植ゑて 万代までの友とこそ見め