- 歌の意味
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人知れず流す涙の川の源は、言わずに忍んでいる、いはでの山の谷を流れる下水なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十一 恋歌一 667
詞書は前の歌に続き「歌合し侍りける時、忍ぶ恋の心を詠み侍りける」
前歌と同じ歌合で「忍ぶ恋」の題により詠んだ歌である。人知れず流す涙の川の水源は、いはでの山の谷の下水なのか、と詠む。あふれる涙を川に見立て、その源を、口に出さずに秘めた思いを表す「いはでの山」の、人目につかない谷の下水に求めて、忍ぶ恋の深さを表している。
作者の「顕昭法師」は左京大夫藤原顕輔の猶子である。六条藤家の歌学者として知られ、「袖中抄」などの歌学書を著した。
本巻の第六百五十一首の「いはでの山」と、第六百五十四首の「山の下水」を合わせたような趣向である。また第六百七十首の「涙川」とも、涙を川に見立てる点で共通する。
初句「人知れぬ」は、人に知られない、の意である。第六百六十一首の初句と同じ句である。
二句「涙の川の」の「涙の川」は、流れる涙の多さを川にたとえた語である。第六百七十首の初句「涙川」と同じ趣向である。
三句「水上や」の「水上」は川の水源、「や」は疑問の係助詞で、ここで句切れとなる。
四句「いはでの山の」の「いはで」は、陸奥国の歌枕である岩手と、口に出して言わないで、の意の「言はで」を掛ける。第六百五十一首の二句「いはでの山に」と同じ歌枕である。
結句「谷の下水」は、谷の物陰を人目につかずに流れる水で、体言止めである。第六百五十四首の二句「山の下水」と共通する。
みなかみ:川の水源
いはで:陸奥国の歌枕の岩手と、言はで(言わないで)を掛ける
したみづ:物陰を人目につかずに流れる水
- 作者
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顕昭
- 出典
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千載和歌集
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恋ひ死なば世のはかなきに言ひ置きて なき跡までも人に知られじ
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