嬉しくは後の心を神も聞け
引く標縄の絶えじとぞ思ふ
- 歌の意味
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恋がかなって嬉しい思いをさせてくださるならば、その後の私の心を神もお聞きください。引き張った注連縄が切れないように、この契りは決して絶えさせまいと思っている。
- 鑑賞
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巻第十二 恋歌二 709
詞書「同じ十首のうちに、誓ふ恋といへる心を詠める」
前歌と同じ権中納言藤原俊忠の家の恋十首のうちで、「誓ふ恋」の題で詠んだ歌である。恋がかなって嬉しい思いをさせてくれるのなら、その後の私の心を神も聞いてほしい、引き張る注連縄のように絶えまいと思う、と詠む。神前に張る注連縄に寄せて、恋が成就した後も心変わりしないことを神に誓う歌である。
作者の「修理大夫顕季」は藤原顕季である。藤原隆経の子で、白河院の近臣として仕え、修理大夫を務めた。六条藤家の祖で、柿本人麻呂の像を祭る人麻呂影供を始めたことでも知られる。本文の作者名は「修埋大夫」と記すが、「修理大夫」の誤記と見られる。
前歌の第七百八首と同じ俊忠家の恋十首の歌で、前歌が祈っても逢えない恋を、本歌が神に誓う恋を詠んで並んでいる。
初句「嬉しくは」は、嬉しい思いをさせてくれるならば、の意で、恋の成就を仮定する。
二句「後の心を」は、恋がかなった後の私の心を、の意である。
三句「神も聞け」の「聞け」は命令形で、神も聞いてほしい、と神に呼びかける。ここで句切れとなる。前歌の第七百八首の結句「祈らぬものを」と、神への願いという点で響き合う。
四句「引く標縄の」の「標縄」は神域を示すために張る縄で、「引く」「絶え」と縄の縁語を連ねる。引き張った注連縄のように、の意で、結句を導く。
結句「絶えじとぞ思ふ」の「じ」は打消し意志の助動詞、「ぞ」は強意の係助詞で、連体形「思ふ」と係り結びをなす。決して絶えまいと思う、の意である。
しめなは:神域を示すために張る縄
たゆ:縄が切れる。ここでは契りが絶える
- 作者
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藤原顕季
- 出典
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千載和歌集
- 前の歌
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憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
- 次の歌
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結び置くふしみの里の草枕 解けでやみぬる旅にもあるかな